2020年5月31日日曜日

「試練の後で」

創世記22章15~24節
2020年5月31日 第5聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムは厳しい試練にあいましたが、信仰によって神の言われることに従いました。その後で教えられたことがありました。これは私たちにも教えられることです。
 第一に、世は変わっても神の約束と誓いは変わらないことです。神はご自分にかけて誓われ約束を確かなものとされました。その神の約束だからこそ信頼することができます。
 第二に、先が見えなくても神の祝福の計画が進められていることです。神はイサクが将来伴侶とする人物を備えておられました。主は私たちに対しても祝福の計画を進めておられます。
 第三に、どんな状況に置かれても神の最高の愛が注がれていることです。その愛とはあのカルバリの丘で示された愛です。
 この変わらない主の約束と誓いこそ、私たちにとっての大きな希望です。試練は厳しく辛いものですが、この希望を握りしめて歩みましょう。

<聖書のことば>
こう言われた。「わたしは自分にかけて誓う──主のことば──。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。
創世記22章16~17節

2020年5月24日日曜日

「主の山に備えがある」

創世記22章1~14節
2020年5月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムは神の命令に従い、かけがえのない一人子イサクを全焼のいけにえとして主に献げようとしましたが、主は止められました。彼はどのような信仰を持っていたのでしょうか。
 第一に、神は真実なお方であるという信仰です。彼は必ず二人で戻って来ると確信していました。神は真実であり必ず約束を成就されると信じていたからです。私たちも主の真実さに目を向けていることです。
 第二に、神に献げることが真の礼拝であるという信仰です。礼拝は受けるものではなく献げるものです。私たちは主に自分自身を献げる礼拝を献げましょう。
 第三に、神はご覧になり備えてくださるという信仰です。神はアブラハムの信仰をご覧になり、代わりのいけにえを備えておられました。私たちはその主に信頼する必要があるのです。
 主の山の上に備えがあります。この体験をする人は幸いです。私たちもアブラハムのような信仰をもって、この体験をする歩みをしましょう。

<聖書のことば>
アブラハムは、その場所の名をアドナイ・イルエと呼んだ。今日も、「主の山には備えがある」と言われている。
創世記22章14節

2020年5月17日日曜日

「アブラハムへの試練」

創世記22章1~10節
2020年5月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アブラハムの生活が安定していた時でした、神は彼に、一人子イサクを献げるようにという受け入れがたい命令を与えられました。
 ここから、神は愛する者を試みられることがわかります。試練によって信仰が試され整えられることのできる、私たちにとって必要不可欠なものです。神様はアブラハムをどのような点で試みられたのでしょうか。
 第一に、神に従うかどうかです。主は私たちにも、自分の意に反することでも従うかどうかを試されます。
 第二に、神に最高を献げるかです。アブラハムにとってイサクが最高の存在だったでしょう。それを献げるように言われたのです。主は同様に私たちを試されます。
 第三に、神の約束に信頼するかです。これまでに与えられていた神の約束にどこまで信頼するか試されたのです。
 神は愛する者を試みられることを覚えましょう。その試練の時に、それが主から来たものであると受け止め、主に信頼して前進しましょう。

<聖書のことば>
これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。
創世記22章1節

2020年5月10日日曜日

「ヨケベデの信仰」

出エジプト記2章1~10節、ヘブル11章23~26節
2020年5月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 本日は母の日で す。モーセの母ヨケベデの信仰について考えましょう。彼女はモーセに何を教えたのでしょうか。
 第一に、何を恐れるべきかを教えました。彼女はファラオよりも神を恐れて、生まれた子を隠しました。そのように子に対しても、主を恐れる姿勢を教えたでしょう。
 第二に、何に信頼すべきかを教えました。「信仰によって」とあるとおり、両親は神が子を守られると信じました。そのように子に対しても、主に信頼することを教えたでしょう。
 第三に、何が神の民として真に価値があるのかを教えました。モーセはエジプトの富よりも、神の民と共に苦しむ方を選択しました。それは母から教えられた価値観であったでしょう。
 次の世代に残すべき大切なことは多くはありません。最も大切な信仰の姿勢を模範として示し、教え、残す者でありましょう。

<聖書のことば>
信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
へブル人への手紙11章24~25節

2020年5月3日日曜日

「永遠の神に」

創世記 21章22~34節
2020年5月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 アビメレクが将軍を伴って、アブラハムの所に平和条約を結ぶためにやって来ました。この個所から教えをいただきましょう。
 第一に、神に従って歩むと、神を証しすることができます。「あなたが何をしても神はあなたと共におられる」と言われる程、証しのある歩みをしていたのでしょう。私たちもその様に周りの方へ証しができたら幸いです。
 第二に神の守りに目を留めると神への感謝が湧いて来ます。井戸のことでアビメレクに抗議しますが、解決することができました。そこに神の守りを覚えたのです。私たちもあらゆる所に主の守りを認め感謝することです。
 第三に、永遠の神に目を留めると、神への信仰が強められます。アブラハムは永遠の神に目を留め祈りました。私たちも永遠の神に目を留めて、信仰を強められて歩むことです。
 地上にあるもので永遠に続くものはありません。私たちはやがて朽ちていくものではなく永遠の神に目を留めて、その神に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
アブラハムはベエル・シェバに一本のタマリスクの木を植え、そこで永遠の神、主の御名を呼び求めた。
創世記 21章33節