2019年2月24日日曜日

「失敗から受ける祝福」

失敗から受ける祝福
2019年2月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ペテロは舟から出て湖の上を歩くことができましたが、風を見て恐くなり沈みました。彼はその失敗の経験から、祝福の学びができたのです。
 第一に、自分は無力な者であることです。彼は自分の信仰に自信を持っていたでしょう。でもこの経験をとおして、自分の無力さを痛感させられたのではないでしょうか。
 第二に、主はどんな時にも共にいてくださることです。不信仰になり沈みかけた彼でしたが、主はその時点で彼を見捨てることはされませんでした。即座に彼を助けられたのです。主は彼と共におられました。
 第三に、主から決して目を離してはならないことです。イエス様から目を離してしまったことが失敗の要因だったからです。
 私たちは主から示されているのに、失敗を恐れるばかりに一歩を踏み出すことを躊躇してはいないでしょうか。失敗から祝福の学びを受けることができ成長させていただけます。恐れないで一歩を踏み出しましょう。

<聖書のことば>
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。
マタイの福音書14章30節

2019年2月17日日曜日

「みことばを慕い求める」

ペテロの手紙第一2章2節
2019年2月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 私たちクリスチャンはどのような態度で、みことばと向き合うべきでしょうか。
 第一に、乳飲み子のようにみことばを慕い求めることです。乳飲み子は熱心に、貪欲に母親の乳を慕い求めるものです。同様に、私たちも熱心に、貪欲にみことばを求めるべきです。聖日だけで満足していてはいけません。水曜日も、また毎日個人的に、みことばを慕い求めるべきです。
 第二に、みことばによって、成長と祝福があると覚えることです。つまり、みことばを慕い求めることなくして、成長も祝福もないということです。私たちが成長し祝福をいただけるかどうかは、どれだけみことばを熱心にいただくかにかかっているのです。
 今日も、そして今週も、みことばを熱心に貪欲に慕い求めて歩むようにしましょう。みことばによって成長させていただきましょう。

<聖書のことば>
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
ペテロの手紙第一2章2節

2019年2月10日日曜日

「魂への責任を覚える」

列王記第二7章3~10節
2019年2月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 サマリヤはひどい飢饉状態に見舞われていました。4人のツァラアト患者はアラムの陣営に入り助かりました。3つのことを学びましょう。
 第一に、恵みを独り占めしてはならないことです。神の業によりアラムの軍勢は逃げ去っていた為、彼らは食料や財産を得ることができました。彼らは恵みを独り占めしてしまっていたのです。私たちも何の働きもせずに救いを頂きました。恵みを独り占めしてはなりません。
 第二に、素晴らしい知らせを伝えるのを躊躇してはならないことです。彼らはためらっていました。私たちもためらうべきではないのです。
 第三に、主から責任が問われることを覚えなければならないことです。神は私たちが福音をどのように扱ったのか、その責任を問われます。
 素晴らしい恵みをいただいたのであれば、それだけ責任が問われます。魂への責任を果たす者でありましょう。

<聖書のことば>
彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」
列王記第二7章9節

2019年2月3日日曜日

「地の果てまで」

使徒の働き1章8節
2019年2月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様が昇天前に言われたおことばから学びましょう。
 第一に、神は人を用いて宣教を進められます。大切な宣教の働きです。神は天使を用いることもできたでしょう。しかし、敢えて不完全な私たち人間を用いられるのです。
 第二に、神は聖霊の力によって宣教を進められます。聖霊は私たちの内に宿られ、必要な助けと力、導きを与えてくださいます。聖霊の助け無くして宣教の働きをなしていくことはできません。
 第三に、神は地の果てまで宣教を進められます。エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、地の果てまでにおいて、神は私たちを用いようとされているのです。
 神はすべての人が救われることを望んでおられます。私たちは宣教の働きのために自分自身を主に献げていきましょう。

<聖書のことば>
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
使徒1章8節