2020年1月19日日曜日

「とりなす者」

創世記18章22~33節
2020年1月19日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 主はソドムとゴモラの町をさばかれることについてアブラハムに語られました。彼は主にとりなしを始めます。
 第一に、とりなしの祈りとは、破れ口に立って他者のために祈る祈りです。神と人との間に立って、その裂け目で神の赦しと守りを祈るのです。
 第二に、神は私たちがとりなすことを期待しておられます。神はこの個所で、敢えてわざわざアブラハムに告げに来られました。彼がとりなすことを期待しておられたと考えることができます。
 第三に、神は救われた私たちを見ておられます。神は正しい者のゆえに町を滅ぼさないと言われました。神は正しい人の故に、魂を顧みられることがわかります。神はその如く私たちを見ておられます。私たちの存在価値は大きいのです。
 彼は神を恐れつつ、諦めずに祈り続けました。私たちも同様に魂のために破れ口に立ってとりなしましょう。

<聖書のことば>
また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」
創世記18章32節