イザヤ書 46章 1~13節
2022年9月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司
2022年9月18日 第3聖日
牧師 長江 忠司
イスラエルの民は偶像礼拝の罪を犯し続け、この後にバビロンへ連れ去られることが預言されていました。そのような民に、思い出せと主は語られました。何を思い出すべきでしょうか。
第一に、私たちが弱い時にも主は背負い運んでくださることです。偶像の神は人が助けを求める時に、私たちを背負い運ぶことはできません。しかしまことの神は私たちが弱く助けが必要な時に背負い運んでくださいます。今までもこれから先も、主はそうしてくださることを思い出すことです。
第二に、私たちに希望が見えない時でも、主は御計画を進めておられることです。主は大昔から、イスラエルの民をどんな状況においても真実に導かれ、御計画を進めて来られました。これから先についてもそうなのです。そのことを思い出し主に委ねて歩むことです。
若い方にもお年を召した方にも苦難はあり、弱る時がやって来ます。ですから今日学んだことを思い出し、またいつも覚えて歩みましょう。真実な主に頼って歩みましょう。
<聖書のことば>
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
イザヤ書 46章 4節