2022年1月23日日曜日

「私の生きてきた年月は」

創世記 46章 31~47章 12節
2022年1月23日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 ヤコブと子供たちはファラオと対面します。
 第一に、寄留者であると意識して歩むことです。ヨセフの兄弟たちは、自分たちは寄留するために来たと言いました。実際エジプトは、一時的な地に過ぎず、やがて彼らはそこから出てカナンの地に戻ることになったのです。私たちもこの地上生涯は寄留地であると意識して歩むことです。
 第二に、この世においては誠実に歩むことです。ヨセフの誠実な歩みがあったからこそ、ファラオは彼の家族をここまで手厚く扱ったのでしょう。私たちも証しのために、遣わされたところで誠実に歩むことです。
 第三に、災いが多かったとしても主に信頼することです。ヤコブは生涯を振り返り、災いが多かったと言いましたが、しかし主は彼を守り、ヨセフと再会させられました。真実な主に従って良かったと思ったでしょう。
 私たちの人生にも苦しみは多くあります。しかし、真実な主は私たちと共に歩んでくださいます。その主に信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」
創世記 47章 9節