2019年12月1日日曜日

「サライからサラへ」

創世記17章15~21節
2019年12月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 神はアブラハムに、妻サライの名をサラとするように言われました。それは国々の母という意味でした。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、神は変えることができます。これまでのサライの歩みを考える時に、アブラハムはとても彼女が変えられ、国々の母になるとは思えなかったのでしょう。それで笑ってしまいました。しかし神は変えることが出来る方なのです。
 第二に、神こそ期待して良いお方です。サライも自分も高齢であるという状況から、彼は不可能だと判断していました。期待すべきは神でした。
 第三に、神は未来を見られていることです。アブラハムは過去から現在までしか見ていなかったのに対し、神はこれから先に起こる未来のことを見ておられました。私たちも信仰によって未来を見るべきなのです。
 神の約束をいただいた時に、私たちはどのように応答するでしょうか。笑うのではなく、心から信頼し期待して歩みましょう。

<聖書のことば>
また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
創世記17章15節