2018年4月1日日曜日

「イースターにある平安」

ヨハネの福音書20章19~20節
2018年4月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は十字架にはりつけになり死なれました。その主が復活され弟子達の前に現れて言われたのです。「平安があなたがたにあるように。」復活の主を覚える時に平安が与えられます。その理由を学びましょう。
 第一に、復活の主が休ませてくださるからです。どんな重荷であっても、私たちは主のもとへ行き荷を降ろすことができます。生きておられる主が重荷を担ってくださるのです。
 第二に、復活の主が正しく導かれるからです。主は全知のお方であり、私たちが迷う時でも正しく導かれます。
 第三に、復活の主が死の解決を与えてくださるからです。どんなに強い人でもやがて死がやって来ます。死後に神のさばきが待っています。しかし復活の主を信じた人は主と共に死を通過し、天の御国に入れていただけるのです。
 復活の主を覚える時に、主の平安が与えられます。しっかりとよみがえられた主を覚えて、平安の内を歩ませていただきましょう。

<聖書のことば>
 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
ヨハネの福音書20章19節