ピリピ人への手紙1章15~18節
2017年1月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司
2017年1月22日 第4聖日
牧師 長江 忠司
投獄中のパウロを苦しめる問題が起きていました。パウロに対するねたみや党派心から伝道する人たちがいたのです。それは正しい態度ではなく彼を悲しませるものでしたがパウロは喜びました。なぜでしょうか。
第一に、キリストが崇められることを望んでいたからです。ねたみは恐ろしいもので人間関係を破壊するものです。しかし彼はいずれにしてもキリストが宣べ伝えられ崇められることを喜びとしました。
第二に、自分の弱さも自覚していたからです。彼は罪人の頭であると言いました。自分の中にも同様の罪があることを自覚していたことでしょう。
第三に、神の恵みに目を留めていたからです。その人たちは伝道するのに相応しくなかったでしょうが、それは彼とても同じでした。ただ神の恵みによって用いられている。その恵みに目を留めたことでしょう。
時に人間関係の問題の中に入れられることがあります。しかし、見るべきお方を見ているならば、パウロのように勝利して歩むことができるのです。
<聖書のことば>
すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
ピリピ人への手紙1章18節