ピリピ人への手紙2章17~18節
2017年7月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司
2017年7月9日 第2聖日
牧師 長江 忠司
パウロは自分が注ぎの供え物となっても喜びますと言いました。なぜ、そのように言うことができたのでしょうか。
第一に、主が計り知れない大きな愛を与えてくださったからです。彼はかつてクリスチャンの迫害者でしたが、主はそんな彼を愛し受け入れ、命までもささげてくださったからです
第二に、主が希望の約束を与えてくださっているからです。イエス様は迫害される時に天での報いがあるので喜びおどるように言われました。その様な希望の約束があるからです。
第三に、主の教会は魂の祝福こそ最も喜ぶことだからです。キリストは魂を愛され魂のために全てをささげられました。そのキリストの教会は同様に魂の救いや成長こそ、最も喜びとすべきなのです。
私たちは何を最大の喜びとして歩んでいるのか、自分自身を点検するようにしましょう。
<聖書のことば>
あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。
あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。
ピリピ人への手紙2章18節