マタイの福音書6章25~34節
2015年7月5日 第1聖日
牧師 長江忠司
2015年7月5日 第1聖日
牧師 長江忠司
聖書は神を抜きにして心配しないように教えています。初めに、何故、私達は心配するべきではないのでしょうか。
第一に、神を信頼していないことになるからです。心配するということは、主が共におられる、全てを益とすると言われる主の約束などを信じないことになります。
第二に、心配した所で何も変わらないからです。神を抜きにして心配しても、体を弱めることはあれ、益となることはありません。
次に、心配してしまう時にどう対処したら良いでしょうか。
第一に今日なすべき事に集中することです。その日その日に労苦は沢山あります。それに集中することです。
第二に、神を第一とした生活をすることです。神以外のものを第一にすると、結果的に歯車が狂い悪循環が始まります。そうではなく主を第一にするのです。
第三に、神に信頼し委ねることです。心配する時こそ、主に信頼し、主に委ねることです。
突き詰めて言うと、主に信頼し委ねるか、信頼しないで心配するかのどちらかです。私達は主を信頼して平安の内を歩ませていただきましょう。
<聖書のことば>
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章34節