ピリピへの手紙3章18~19節
2017年10月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司
2017年10月1日 第1聖日
牧師 長江 忠司
「キリストの十字架の敵」という言葉が鍵となっています。
まず、私たちはキリストの十字架の敵として歩むべきではありません。キリストの十字架の敵とは、2つの意味が考えられます。
一つはキリストの十字架を受け入れないことです。それを信じない、もしくはそれだけでは足りないと考えることです。
もう一つは、自分の欲を神として歩むことです。クリスチャンであっても、キリストを疎かにして自分の欲を中心にして歩むならば、十字架の敵となり歩んでいることになります。
次に、私たちは涙を持ってキリストを伝えて行くべきです。彼らの行き先を考えるならば、涙を持って伝えるように促されます。私たちは周りの状況に慣れてしまってはいないでしょうか。
今月に秋の伝道集会が計画されています。永遠の滅びに向かっている人が大勢おられます。私たちは出て行って、涙を持ってキリストをお伝えする者でありましょう。
<聖書のことば>
というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
ピリピ人への手紙3章18節