ピリピ人への手紙3章17節
2017年9月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司
2017年9月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司
パウロはここで私を見ならう者になるように語りますが、高慢のゆえに言ったのではありません。どういう意味で彼はそのように語ったのでしょうか。
第一に、キリスト者としての模範にならうことです。パウロはキリストの歩みにならおうとしていましたので、そんな彼の模範にならうようにと述べた訳です。特に未信者や信仰歴の浅い人は目に見える信仰者の歩みに倣うものです。私たちはそれを意識する必要があります。
第二に、キリストの恵みを受ける姿勢にならうことです。かつてクリスチャンたちを迫害していた彼に主の恵みが注がれ、伝道者として豊かに用いられました。同様に主の恵みを受けるようにと述べた訳です。そのような主の恵みはすべての人に注がれています。
第三に、キリストにより頼む歩みにならうことです。彼は多くの困難を経験しましたが、その中で主に頼り歩みました。私たちも同様に主に頼って歩むべきなのです。
周りの方々への模範として、私たちも自分自身を示す者でありましょう。
<聖書のことば>
兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
ピリピ人への手紙3章17節