2016年7月10日日曜日

「十字架の苦しみ」

マルコの福音書15章22~32節
2016年7月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様が十字架につけられた箇所から学びましょう。
 第一に、主は人類の嘲りを受けられました。まず民衆から。ユダヤ人指導者から。ローマ兵から。そして受刑者から。これが人間の神に対する態度を象徴しています。全ての人間は神に対する恐れがないのです。
 第二に、主は十字架の苦しみを受けられました。この刑は絞首刑のように一瞬にして死ぬことができるようなものではありませんでした。肉体的に恐ろしい苦しみと精神的には屈辱を味わいながら、ジワジワと死んでいったのです。主は余すところなく、その苦しみの杯を飲み干されました。
 第三に、主はとりなしの祈りをなされました。ご自分を十字架につけ命を取ろうとしている者たちの赦しの為に祈られたのです。その祈りの「彼ら」には、私たちも含まれているのです。
 神の一人子イエス様は私たちを愛して、この十字架で苦しんで死なれました。その主の御愛に対して、私たちはどう応答するでしょうか。主の為に成したことだけが残ります。このお方に献げて行きましょう。

<聖書のことば>
また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
マルコの福音書15章31節