マルコの福音書14章43~52節
2016年4月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司
2016年4月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司
イエス様がゲッセマネで祈られた直後に、兵士や役人、群衆たちがやって来ました。異様で恐ろしい雰囲気だったことでしょう。しかし主は堂々と彼らの前に進み出られました。そして主は捕縛されたのです。ここから二つの事を学びましょう。
第一に、主のご支配があったことです。ユダヤ人指導者の企みで進められたように見えますが、全ては神のご計画に沿って進められていました。そして主は過越しのいけにえの如く、全人類のいけにえとして死んで下さいました。
第二に、主のお守りがあったことです。捕縛の場面でも、弟子達を守ろうとする主のお姿を見ることができます。主は今もその如くに私達を必ずお守り下さるのです。
キリストの捕縛は無様に思えるかもしれませんが、そうではありません。そこにも主の偉大さと愛とを知ることができます。いかなる場合も、このお方に頼り歩むようにしましょう。
<聖書のことば>
そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが現れた。剣や棒を手にした群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられたものであった。
そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが現れた。剣や棒を手にした群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、律法学者、長老たちから差し向けられたものであった。
マルコの福音書14章43節