マルコの福音書9章49~50節
2015年3月22日 第4聖日
牧師 長江忠司
2015年3月22日 第4聖日
牧師 長江忠司
イエス様が弟子たちに語られた事を通して、主の弟子のあり方について学びましょう。
第一に、聖められた歩みをすることです。難解な箇所ですが、火とは試練を意味していると思われます。キリスト者は試練によって聖められ塩気を付けられていくことができます。無駄な試練は一つもありません。
第二に、塩気を保つ歩みをすることです。塩は防腐剤的な役割と味を付ける役割があります。私達は世に遣わされている者として2つの塩気ある歩みをする責任があります。
第三に、互いに平和に歩むことです。私達は世の人と争う関係になってはいけません。主がそうであられた様に、平和を保つ歩みをする必要があるのです。
主は私たちを豊かにお取り扱い下さいます。この節目の時期にあって、もう一度主におささげして、主に用いていただきましょう。
<聖書のことば>
塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。
塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。
マルコの福音書9章50節