2019年11月24日日曜日

「割礼を受けよ」

創世記17章9~14節
2019年11月24日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 神はアブラハムに割礼を受けるように言われました。それにはどんな意味があったのでしょうか。
 第一に、神の恵みの契約に応答することです。アブラハム契約は既に締結していました。その条件ではなく、応答として割礼を受ける必要がありました。
 第二に、神の恵みの契約を常に覚えることです。肉体が刻まれることを通して、神の契約が記されることになりました。彼らはその部分を見る度に神の契約を覚えたことでしょう。
 第三に、神に従順に従っていくことです。割礼は外面的なことですが、それは内面の従順を表わすものでした。
 主は私たちを選び、恵みによって素晴らしい救いを与えてくださいました。その恵みへの応答として、主の言われるどんなことにも従っていきましょう。

<聖書のことば>
次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。
創世記17章10節

2019年11月17日日曜日

「アブラムからアブラハムへ」

創世記17章3~8節
2019年11月17日 第3聖日
牧師 長江 忠司

 アブラムが99歳の時、主は彼に現れ、あらためて契約について語られ、また名前が変えられました。ここから3つの点で学びましょう。
 第一に、主の約束が共にあることです。直訳だと、そのように語られていることがわかります。子が与えられ子孫が増やされる約束が反故にされたのではないかと思うタイミングだったかもしれません。しかし神は契約はあなたと共にあると言われたのです。
 第二に、主の約束は必ず成就されることです。名前をアブラハムに変えることで、彼が多くの国民の父となることを確認させました。
 第三に、主の約束は永遠であることです。ここで永遠が強調されています。神はアブラハムとの契約をイスラエルの民がどうであれ永遠に守られるのです。私たちもその恵みに与っているのです。
 みことばを日々いただく上で覚えるべきことの一つは、毎日聖書を読む決心をすることです。また、私に語ってくださいと祈りつつ読むことです。そして、みことばを味わいつつ読むことです。
 主は私たちにも約束を与えてくださっています。それは永遠であり、必ず成就するのです。その主と主のことばに信頼して歩みましょう。

<聖書のことば>
あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。
創世記17章5節

2019年11月10日日曜日

「みことばを日々求める」

ペテロの手紙第一 2章2節
2019年11月10日 第2聖日
牧師 長江 忠司

 私たちはクリスチャンとして霊的成長を願いますが、そのために日々みことばをいただく必要があります。でも忙しくて疎かにしてしまうことがあるかもしれません。日々みことばをいただかないなら、どうなるのでしょうか。
 第一に、危険な道を歩むことになります。みことば無しで、自分の知恵によって歩むなら、霊的に非常に危険な状態となります。
 第二に、試練に敗北することになります。剣であるみことば無しで歩むならば、勝利することはできません。
 第三に、飢え渇き弱ることになります。みことばによる霊的栄養をいただかないなら、成長し実を結ぶことはできなくなります。
 みことばを日々いただく上で覚えるべきことの一つは、毎日聖書を読む決心をすることです。また、私に語ってくださいと祈りつつ読むことです。そして、みことばを味わいつつ読むことです。
 日々みことばを求めいただくことで主が成長させてくださいます。

<聖書のことば>
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
ペテロの手紙 第一 2章2節

2019年11月3日日曜日

「神に対して富む生き方」

ルカの福音書12章13~21節
2019年11月3日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 イエス様は愚かな金持ちのたとえ話を語られました。神抜きにして、ただ自分のために歩んでいた者に対して、神は愚か者と言われ、命を取られたのです。私たちクリスチャンもそのように主から言われる歩み方をしてはなりません。神に対して富む生き方が大切です。
 第一に、それは神を恐れる生き方です。神を神として認め、御前にへりくだり、主のみことばに従っていくのです。神を恐れる者を主は祝福されます。
 第二に、賜物を主に献げる生き方です。すべては主からいただいたものであることを認めて、感謝と喜びをもって主に献げるのです。主の御用のため、また主が愛してやまない魂のために献げる者を祝福されます。
 第三に、地上ではなく、天国を見上げる生き方です。この地上での生涯は長くはありません。幾ら富を貯めたとしても、やがてなくなりますし、それを持って天国に行くことはできません。しかし天に宝を積むならば、それは永遠に残るのです。

<聖書のことば>
自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。
ルカの福音書12章21節