2017年3月5日日曜日

「切なる願い」

ピリピ人への手紙1章20節
2017年3月5日 第1聖日
牧師 長江 忠司

 パウロが切実な思いで待ち望んでいたことは、ただキリストがあがめられることでした。彼はどうすることによって、キリストがあがめられることを願っていたのでしょうか。
 第一に、恥じることなく大胆に福音を伝えることによってです。日本ではクリスチャンは少数派ですので、福音を語るのが恥ずかしいと考えてしまいがちです。しかし救いに至る道はこの道しか無いのです。そうであれば恥じることはありません。
 第二に、自分の身によってです。クリスチャンは生きざまを通してキリストの素晴らしさを証しすることができますし、また死にざまを通して、キリストを信じて歩む人生の素晴らしさを証しすることができます。
 私たちにとっての切なる願いとは何でしょうか。それによって人生の歩み方は異なってくることでしょう。生きざまと死にざまでその人が何を切に願っているのかが明らかにされます。キリストがあがめられることを切に願い、残された人生を歩みましょう。

<聖書のことば>
それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
ピリピ人への手紙1章20節